著者:小塩隆士
出所:日本評論社、2003年。ISBN: 4-535-55333-5
教育を経済学的に分析した本である。一般向けの本で、世間的には「教育というテーマを経済学で分析する」こと自体が新奇に思われる(一部新聞の書評などにみられた)が、本書でもふれている通り、教育に関する経済学的分析は、ベッカーの人的資本の理論など、長い歴史がある。
本書で面白い点は、これまでの教育経済学が一般的に教育を「投資」の一種と考えてきたのに対し、「消費」という側面もあることを指摘したことであろう。教育の中に①「子による投資」、②「子による消費」、③「親による投資」、④「親による消費」の4つの側面があることを描写しているところなどは、実感をよくとらえている。
リアルオプションとの関係でいうと、「投資」としての教育の中に、将来の不確実性に備えるオプションとしての役割があることを指摘している。すなわち、教育を受けること自体がたとえ得にはならなくても損となることはない、という意味で非対称の期待ペイオフ構造があり、これがオプションとして評価できることを明示的に述べている。以前本blogで紹介したPalacios (2003)の人的資本オプションと共通する考え方である。
教育がオプションであるとすれば、その価値は不確実性が高まると増加するはずである。すなわち、教育を受けることの価値は、不確実性の高まっている今日の日本のような状況の下では、そうでないときに比べて高くなっている。近年、大都市を中心に、私立の中高一貫校の人気が高まり、受験倍率も上がっているというが、これがリアルオプション理論で説明できる、ということになろうか。
ここまではいいとして、「消費」としての教育にオプション価値はあるのかどうか、気になるところだ。仮に投資を「将来の消費のために今消費をあきらめること」、消費を「それ自体を目的とするもの」と考えるとすると、消費であればそれ自体が目的なのであるから、その結果がどうなろうが満足度は変わらず、不確実性によって価値が増減したりしないのではないか、とも思える。
あるいは、パチンコのように、「消費の仕方(玉の打ち方)によってはもっと消費できる(出玉が増えてより長い時間パチンコができる)機会が生まれる」という意味でのオプション価値がある、ということであろうか。とすれば、投資にはすべからく消費としての側面がある、ということにならないか。ファイナンスの理論の入門編で必ず出てくる「現在の消費と将来の消費の交換比率が金利」という考え方は、現在の消費を「がまん」することへの対価として金利をみるものだが、投資を苦痛としてしか見ないそのような考え方は、改めるべきなのかもしれない。
なお、経済学的にもっと突っ込んだ分析は、小塩隆士著「教育の経済分析」(日本評論社、2002年)にみられる。
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