終身雇用と柔軟性

ある講演で、面白い話を聞いた。金融関連の責任ある立場の方の話で、いわれてみれば確かにその通りなのだが、話を聞くまでまったく思い当たらなかった。話とは、昨年まであれほど騒がれていたデフレスパイラルについて、確かに物価は下がっていたがスパイラルではなかった、理屈ではスパイラルになってもよかったはずなのに、なぜならなかったのか、という問題だ。

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映画「ホーンテッド・マンション」

ウォルト・ディズニーの映画「ホーンテッド・マンション」が4月24日(土)から公開される。いわずとしれた、ディズニーランドの同名の人気アトラクションから題材をとった映画だ。東京ディズニーランドに行ったことのある者(日本人の大半がこのグループに入るようだ)なら誰でも知っている、あの999人の亡霊たちの秘密がついに解き明かされる!ということらしい。

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ベンチャー投資の新手法

CNET Japanのblog「梅田望夫・英語で読むITトレンド」に、「プライベートエクイティファンドから見たベンチャー投資の新発想」という記事が出ていた。ベンチャーキャピタル投資において一般的な、段階的投資に対するアンチテーゼとして、あるプライベートエクイティファンドが、必要な金額を一気に投資してしまう、という考え方を提唱しているらしい。

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13歳のハローワーク

13歳のハローワーク
村上龍著。幻冬舎、2003年。ISBN: 4-344-00429-9。
最近ヒットしているこの本。子供向けにさまざまな職業を紹介している。この本が読者として想定する13歳の子供たちにとって、これらの職業のほとんどは可能性として開かれている。13歳から興味をもって準備していけば、学芸員にもツアーコンダクターにも、海女にも新聞記者にも、マタギにだってなれるだろう。言ってみれば、この本は、子供たちに与えられたリアルオプションを描いたものだ。なんと広い可能性が開かれていることか!

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ピクサー、ディズニーとの提携解消

アメリカの映画製作会社ピクサーは、ウォルト・ディズニーとの提携関係を解消すると発表した(ニュース参照)。両社は制作・配給で提携しており、

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ベンチャー企業への過剰投資

CNET-Japanのニューズレターに連載されている梅田望夫氏のblog「英語で読むITトレンド」に、「シリコンバレーを悩ます過剰投資の問題」「カネがありすぎるのも考えもの:ベンチャーの成功要因」という面白い記事が2つ続けて出ていた。

要は、ベンチャーキャピタルがベンチャー企業に投資「しすぎる」ためにベンチャー企業がoverfundingになり、かえって悪い効果が生じている、というものだ。そうなる理由として、他のblogから引用したいくつかの理由が挙げられている。
すなわち、

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改革の効用

変えるべきか。変えざるべきか。
この2つの間の葛藤は、個人レベルでも、企業等の組織でも、国や社会、世界全体といった大きなレベルにおいても、よくみられるものであろう。現状はたいてい、不満はあるが決定的なものではなく、問題を抱えながらもそのままなんとかやっていける程度である。これに対し、改革を行うことは、期待されるメリットは相対的に大きいとしても圧倒的なものではなく、加えて未知の領域につきものの不確実性がある。したがって、期待されるメリットから考えれば改革する方に軍配が上がるが、リスクを最小化しようとすれば改革しないほうがよい。典型的なトレードオフの状況である。

リアルオプション理論の見方で考えても、不確実性の下で将来開かれるであろう新たな機会を獲得するために今投資をするのだという成長オプション的な見方と、不確実性があるのだから、しばらく待ってみようという延期オプション的な見方がある。学術論文であればモデルで評価し、価値の大きいほうを選べばよい、となるのであろうが、現実には、1つの問題をどのようにみるかということは、それほどシンプルなものではない。同じ問題がまったく相反する2つの考え方でそれぞれ整理できることもよくある。

ここに、それぞれの立場を代表する新興勢力と既得権層の利害対立がからむと、問題はさらに複雑になる。第三者的・中立的にふるまうことは実際には難しい。問題に関心をもち、意思決定プロセスに参加しようとするのは、たいていの場合、利害がからんでいる人々である。賛否どちらかの立場にコミットしている人は、中立的な判断が自らの意見とちがっていれば、それを敵とみなす。したがって、中立的な立場なるものは問題の構図から消滅してしまう。

もとより一般的にあてはまる答えなどない。しかし、多くの場合にあてはまることが1つある。「変え続けることに意義がある」という考え方だ。人でも組織でも、同じ環境下で過ごしていると、その環境に適応し、最適化していく。このことは効率を高めるが、一方で変化への耐性を失わせる副作用もある。牙が大きくなりすぎて絶滅したトラ、効率化を追求しすぎて脆弱になった組織。失職後、再就職の面接で「部長ができます」と言った大企業の元部長の例なども、このパターンであろう。

過適応による変化への耐性の低下を防ぐ方法として、小さく変え続けることがある。大きな変化に対して機敏に反応するためには、ふだんから小さな変化を経験しておくのだ。テニスの選手がレシーブの直前に体を小刻みに動かすのに似ている。このことは、組織や社会についてもいえる。変化を脅威ではなくチャンスとしてみるためには、ふだんから変化に慣れていたほうがよい。小さな変化への対応には、余分なコストを要するだろう。これは「柔軟性」を得るための対価なのだ。

つまり、改革というものの効用は、それ単体で測るべきでないということだろう。たとえ若干余分なコストがかかっても、たとえ最適と思われる対応に比べて不充分であっても、変え続けること自体には意味がある。社会全体としてみれば、環境の変化を止めようとするよりも、私たちが環境変化に対して強くなるほうが、よほど安くすむのではないだろうか。

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ディズニー、フロリダのアニメ部門を閉鎖

米ウォルト・ディズニーは、フロリダ州のアニメーション製作スタジオを閉鎖し、アニメ部門をカリフォルニア州バーバンクのスタジオに集約すると発表した(記事参照)。閉鎖されるフロリダのスタジオには260人が働いているが、大半は解雇されるという。

閉鎖されるフロリダのスタジオの従業員数が260人もいるというのには驚かされる。さらに、バーバンクのスタジオには600人が働いているという。しかも、600人は縮小した結果で、最盛期には2200人が働いていたそうだ。同じ米国で新興のピクサーが750名前後いるとのことなので、圧倒的、というほどでもないのかもしれないが、日本の場合、大手の東映アニメーションで240名(連結子会社を入れて428名)であり、大半はもっと小さいはずである。

日本のアニメ業界は、小さなスタジオがたくさんあり、少数の大手スタジオからの下請で仕事をするしくみになっている。言ってみれば、このしくみにより、大手スタジオはプロジェクト(作品)規模に応じたコストコントロールの柔軟性を有していることになる。これに対し、ディズニーの場合、多数の従業員を抱え込んでいるため、このような柔軟性がなく、大作を出し続けなければならない。ジブリやピクサーのように当たりが続けばいいが、そうでなければかなり厳しい状況となろう。

それにしても、ディズニーのアニメ部門はここ数年大きなヒットが生まれていない。過去10年の作品を下に並べてみたが、「ライオン・キング」以降の作品については、一般の記憶にはあまり残っていないのではないだろうか。ディズニーの配給で知られているのは、右側に併記したピクサー作品ばかり、ということになる。

1994年 ライオン・キング
1995年 ポカホンタス      トイ・ストーリー
1996年 ノートルダムの鐘
1997年 ヘラクレス
1998年 ムーラン        バグズ・ライフ
1999年 ターザン        トイ・ストーリー2
2000年 ファンタジア2000
2000年 ラマになった王様
2000年 ダイナソー
2001年 アトランティス
2002年 リロ&スティッチ   モンスターズ・インク
2002年 トレジャープラネット
2003年              ファインディング・ニモ

もちろん、ディズニーとしては、劇場公開ですべっても、その後のビデオ・DVDの販売で投資を回収することが期待できる、という側面がある。さらに、アニメーションではピクサーとの契約で配給権を握り、実写では「パイレーツ・オブ・カリビアン」など健闘しているから、会社全体として不振ということではないだろう。しかし、これらの柔軟性を駆使したとしても、「本丸」であった長編アニメーション映画製作部門で不作続きというのは、企業が拠って立つべき競争力の根源が枯渇しかけているのではないかとの懸念を抱かせる。アニメーション業界において最大の資源である人材の育成や活用において、何か問題があったのだろうか。気になるところである。

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株式会社中学、利益は寄付

構造改革特区認定を受け、中学校を運営する岡山県の「株式会社朝日学園」(岡山県)が、非営利性を明らかにするため、利益の全額を社会貢献のために、同社の母体となる学校法人または地方公共団体に寄付する旨を定款に定めるという(記事参照)。

株式会社による学校経営は、当初特区申請が却下されたが、昨年10月、3回目の特区認定の際に認められることとなった。この学校のほかには、専門職大学院が認められている。

「非営利の株式会社」とは、経営学的観点からみると、ある種「盲点」だったといえるのではないだろうか。株式会社は営利法人だと決めてかかっていたが、株式会社の最高意思決定機関は株主総会であるから、株主の意思として利益を寄付する旨定款に定めるのであれば、法的には非営利でも問題はないのかもしれない。

もともと株式会社が学校を運営してもいいのではないか、と考えていたので、これ自体は悪くないことだと思う。思うのだが、この記事には疑問を感じなくもない。そもそも株式会社が学校を運営してもいいと考えていたのは、株式会社が運営することで、効率的な経営が可能になるのではないかと思ったからだ。教育は、医療などと同様、コスト意識よりも質への配慮が重視され、結果として過大なコストをかけることになりがちだ。企業が運営すれば、利益を追求する中で、より合理的なコストを意識するようになるだろう、というわけだ。

だとすれば、利益を寄付することで、この株式会社中学校が事実上非営利となれば、合理化へのインセンティブはどこに働くのだろうか。寄付先を経営母体の学校法人としているということから、あるいは、経営母体への寄付額を増やすというインセンティブは働くかもしれない。しかしそれならば、「利益追求だという批判を避ける」ことにはならないだろう。そもそも、もともと学校法人があるのに、なぜわざわざ株式会社を設立する必要があったのだろうか。

事情がよくわからないので、このような批判はあたらないかもしれない。しかし、法的な問題はともかく、営利を目的としない株式会社という考え方は、株式会社という法人の性格からみて、若干「不純」な気がする。資本の論理とは、それほど「汚い」ものだろうか。資本の論理で動くことは、本当に教育の質を軽視していることになるのだろうか。たとえば、トヨタが車の質など度外視して利益を追求している、とは誰も思わないであろう。企業価値の最大化は、顧客側から選ばれる競争力によって可能となる。そしてそのしくみは、企業価値を最大化して株主に還元するのだ、という目的意識が伴ってはじめて機能するのではないかと思う。

教育の質の高さで人気を集め、その成果としての高い利益率を誇る、という発想はできないものか。どうも腑に落ちない話である。

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道路公団の民営化

政府・与党が道路公団民営化の方針を決定した。「新規路線の建設は、機構から委託を受けた新会社が、資金を市場から自己調達して建設する仕組み」だそうだ。新会社の経営の自主権を確保すれば、実質的に無駄な道路は造らない方向になるという。「新規建設をめぐり新会社と国の意見が対立した場合は、国が別の新会社と交渉する複数協議制を採用するとともに、それでも拒否された場合は国土交通相の諮問機関で国の正当性を判断する仕組み」である由。

いってみれば、これは、現在不採算と思われている道路の建設の可否の決定を将来に延期したものである。想像するに、今は財政状況が悪いので、今決定すれば「造らない」方向で決まってしまうから、将来決定することにしておけば、そのうち景気もよくなるだろう、ということか。

一般的には、将来が不確実な中で不可逆な投資に関する意思決定を行うとすれば、それを延期することによってよりよい結果が得られる、というのがリアルオプション理論の示すところである。公共事業等について、リアルオプション理論を適用して考えていくべきだとの主張もみられる。

しかし、政策の良し悪しはともかく、リアルオプションという観点からこの問題をみるとき、気になるのは何のために延期されるか、である。リアルオプション理論は、その暗黙の前提として、意思決定の主体が現在価値最大化をめざしていることが必要である。新会社が自らの経営課題として事業の(リアルオプション価値を含む)現在価値最大化をめざす、というのであれば、図式はシンプルであり、理論と整合的である。

しかし政府はどうか。新会社とは利害を異にしているし、そもそも価値最大化をめざす組織ではない。政府のめざすところは、新会社ではなく、社会全体(もし一部の地域、一部の人々のためでないとすれば)の便益向上をめざすということだろう。こうした、新会社に帰属しない価値を理由として新会社に意思決定を押し付けることは、民営化のベースになる考え方にそぐわないし、少なくともリアルオプション理論が想定する状況ではない。価値最大化は、そのプロジェクトがもたらすメリットとデメリットを1つの主体の中で比較してこそ実現できるのではないか。

価値最大化をめざさない組織が意思決定を延期することは、神頼みに陥りがちである。また、新会社の自主性を重んずるといいながら、国との意見が対立した場合の流れをみれば、無理にでも説得してやるという発想がありありである。この場で政策に非を唱えるものではないが、少なくとも、これはリアルオプション的な考え方とは呼べない。

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